「にじさんじ甲子園2022」を観てて「eスポーツとは…?」となった話

2022-08-17

にじさんじ甲子園

「にじさんじ甲子園2022」はANYCOLORによる配信者グループ「にじさんじ」所属の配信者が、KONAMIのNINTENDP SWITCH/PlayStation 4向けゲーム「eBASEBALLパワフルプロ野球2022」を用いて行われたオンラインの催し。

本イベントは2022-08-12〜2022-08-14にかけて開催された。

イベントの内容としては、同ゲームの「栄冠ナイン」という高校野球を題材にした育成モードで各々3年間のプレイによって野球部を育成し、3年目の夏時点の野球部をエントリーチームとして本戦に登録する。 本戦はAI進行(選手交代など、監督としての指示は可能)であるため、各プレイヤーがすべきことは基本的に育成が一番で、次いでチームとしての戦い方を見出すこととなる。

イベントとしてのハイライトは当然ながら結果の出る本戦だが、その醍醐味は育成期間のほうにある。 8人の配信者それぞれの育成期間に、高校野球の悲喜交々が詰まっており、応援するプレイヤーがいれば本戦を見据えた3年間の育成を追うことは本戦以上のコンテンツになる。

イベントにはスポンサーもつき、大規模なイベントであった。

eスポーツとは

パワフルプロ野球というゲームは操作要素もあるものの、全体としては育成要素のほうが強いゲームである。 パワフルプロ野球のプロ選手というのもいるらしいのだが、そのプロゲームについて私は知らないのでそれについては述べない。

一般的にeスポーツと言った場合、「eスポーツはスポーツと同質である」という主張があり、その主張の下地としてはスポーツの競技を単純にゲームタイトルに置き換えたものであるとされる。

これは、フィジカルスポーツであるかどうかというのはスポーツの本質ではないという主張と裏表の関係であり、これはバックギャモンや将棋のようなボードゲームをスポーツとするスポーツの定義の広げ方の流れにあると見ることができる。

しかし、フィジカルスポーツであることが本質でないのであれば、何を本質とするのかといえば、基本的に選手のスキルなど能力をぶつけることにあると言えるだろう。

「にじさんじ甲子園」の場合、「選手」はプレイデータとAIであるから、人間の選手ではない。 育成パートを含めたゲームプレイそのものを「選手のプレイ」であるとみなすことはできなくはないが、解釈を広げすぎており(それ競技性に関係なくゲームプレイとは即ちスポーツである、まで広げる必要がある)、同意を得られにくいだろう。

「にじさんじ甲子園」は確かにスポーツイベントだった

だから「にじさんじ甲子園」はeスポーツイベントではないとみなすのが適切なのだが、実際にはそこらのeスポーツイベントの比でないほど、たしかにスポーツイベントであった。

私は野球は熱心に見るほどではないが、ルールは分かる程度に好きで、地元チーム応援のために球場まで足を運んだこともある。 なので野球の感染経験もあるわけだ。

今回のイベントは、育成段階ではリゼ・ヘルエスタさんの「王立ヘルエスタ高校」のプレイを追っていた。 「ただのゲームプレイ」ではあるかもしれないが、懸命に戦うリゼさんと、巻き起こるドラマの数々に感動したりもした。

そして迎えた本戦であるが、AI操作とはいえ、数々の名勝負が生まれた。 その中で、王立ヘルエスタ高校を応援し、絶叫するような場面を経て決着した。

その観戦体験は、私がこれまで経験してきた野球観戦、あるいはモータースポーツ観戦となんら変わらないものであった。 否、それ以上だ。なにせ、地元球団はあくまで「弱くて愛しい地元弱小球団」に過ぎない。 それに対して王立ヘルエスタ高校はここに至るまでの日々を追いかけてきた。感動もしたし、思い入れもある。 もう26年追いかけてきて、ファンクラブに入っていたこともあるスバルチームと変わらぬ、あるいはそれ以上の思い入れで応援した。 そこに観戦者として、「本物の野球」であるか、「ゲームの野球であるか」の違いはなく、フィジカルの選手かAIの選手かの違いもなかった。

やはりスポーツ観戦というものは

  • 応援する対象があり
  • ゲームの注目点を理解している

ことが非常に大きいのだと感じた。

モータースポーツ観戦において耐久レースを推奨しやすいのは、「生き残り、ゴールする」というわかりやすい目標があり、しかしそれが困難であるために敗者のドラマが誕生することにある。このため、モータースポーツの勘所が分かっていなくても観戦しやすいわけだ。 私は「よくわからない」と感じているサッカーを観戦して楽しむことができないし、何に注目して見ればいいのか分からないとスポーツ観戦を楽しむことは難しいと思う。

また、スバルが出ているニュル24時間と、スバルが出ていないニュル24時間ではテンションが全く違う。ニュルが出ていないときは応援するチームがないので漫然と見ているだけだからだ。 やはりスポーツ観戦には応援が欠かせない。

逆に言えば、競技自体に興味があり、応援する対象が明確であるとき、競技者は必ずしも重要ではないのかもしれない。 もちろん、競技者は応援する対象として重要かもしれないが、競技者なしにも応援する対象が明確であったらどうだろうか。

実際コンピュータ将棋選手権では競技者はAI、ソフトウェアである。 だが、それを応援する人、楽しんでいる人は普通にいる。中には開発者を競技者として見ている人もいるだろうが、そういう人ばかりではないだろう。

同じように、育成したのがAIで、プレイするのもAIだったとしても、応援するモチベーションが持てるのならばスポーツとして成立するのではないか。

そうなると、eスポーツであるか否か、そしてスポーツとは一体なんなのかというのがよくわからなくなってくる。 私は「にじさんじ甲子園」を確かに スポーツイベントとして 楽しんだのだ。 eスポーツはスポーツであると言うのであれば、スポーツの境界線とは一体どこにあるのだろうか。 そして、その境界線は果たしてスポーツの本質なのだろうか。